【オンライン限定】かるたから見る製糸業の歴史!!
- 中央大学新聞
- 17 分前
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3月4~5日、新聞学会合宿で群馬を訪れました。今回は、富岡製糸場のリポートをオンラインで限定配信します。

群馬県人ならおなじみの上毛かるたというものがある。各地にある郷土かるたの一種であるが、この群馬県を紹介したかるたには生糸に関わっている札が特に多い。
「県都前橋糸の街」県庁所在地である前橋市は、生糸の街として有名で、特に幕末以降外国との貿易が始まると、生糸の集散地としての役割を果たしていた。

群馬県人ならおなじみの上毛かるたというものがある。各地にある郷土かるたの一種であるが、この群馬県を紹介したかるたには生糸に関わっている札が特に多い。
「県都前橋糸の街」県庁所在地である前橋市は、生糸の街として有名で、特に幕末以降外国との貿易が始まると、生糸の集散地としての役割を果たしていた。
「日本で最初の富岡製糸」富岡市には日本初の官営の製糸工場が建てられた。窓ガラスなどの設備を西洋から輸入するだけでなく、そこで働く工女の待遇もかなり良かった。無料の診療所や学校の建設、完全な日曜休日、そして、給料において成果主義が取り入れられるなど、そこでは彼女たちは現代と比較しても意外と良い労働条件で働いていた。

政府がここまで製糸業に力を入れたのは、生糸が日本の主要な輸出品であったからである。その肌触りのよさや、見た目の高級感などは海外の人々にも好まれてきた。生糸は、戦前を通じて日本の輸出額の4割ほどを占め続けており、明治期の産業発展を財政面から支え続けたのであった。
群馬県がかるたで「繭と生糸は日本一」と自慢したくなるのもうなずける。戦前の日本の主要産業であった製糸業、ここ群馬県は確かにその中心地の一つであった。(求めだか)
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